営業利益率は40.3%、時価総額は約1兆3000億円(3月末時点)。これらすべての数値が過去最高を記録した。
いったい、カプコンに今何が起こっているのか。
アーケード⇒コンソール⇒モバイルと渡り歩いてきたカプコンの歴史を追いながら、業績好調の理由とゲーム業界の現在地を考えてみた。
カプコンの歴史は辻本憲三氏が伯父の菓子卸業を引き受け、「辻本商店」として1963年に開業したところからスタートする。
菓子卸業に失敗し辻本氏は数百万円の負債を抱えこむことになるが、1968年に菓子小売業として再スタートする。
全国各地に綿菓子製造機の行商している中で、パチンコ台の改造を委託される。これがゲーム娯楽業へ注目するきっかけになった。
74年、辻本氏は大阪府松原市にゲーム機製造販売会社IPM(後のアイレム、現在のアピエス)を設立する。
インベーダーゲームのライセンスを取得しオリジナルゲームを開発、販売したが、ブーム退潮により大量の在庫を抱え込んだ。この責任を問われ退社することになる。
その後、IPMと同時期に設立していたサンビというゲーム開発会社に軸足を移す。83年、サンビの販売会社として大阪市内にカプコン(旧)を設立。
89年にサンビを母体にカプコンを吸収合併。これにより誕生したのが、現在のカプコンである。ちなみに、社名は「カプセルコンピューター」の略称からである。
トップメーカーに押し上げた“ある格闘ゲーム”
カプコン創立にあたり辻本は、大手ゲーム会社を退社していたゲーム開発者たちに声をかけた。
というのも設立当時、カプコンには社員の開発者は1人もいなかったからだ。
コナミから中途で入った岡本吉起氏は22歳ながら「開発責任者」として入社した。社員番号は9番だった。
89年にカプコンができた当時、任天堂のファミリーコンピューターが話題にはなっていたが、当時のゲームの主流はアーケードゲームだった。(この流れが変わるのは85年9月に『スーパーマリオ』が出てからだ)
カプコンは、『1942』(1984)、『魔界村』(1985)、『戦場の狼』(1985)、など人気アーケードゲームを次々と出し、名前を上げた。
ファミコンへの移植版も好調だったが、最初のメガヒットは『ストリートファイターII』(1991)だろう。87年に出た『ストリートファイター』の続編で、岡本吉起氏がプロデューサーを務めた。
89年に売上高240億円だったカプコンは、ストIIのヒットで、91年は443億円、92年は823億円と売上高を一気に伸ばした。
93年当時、日本のゲーム業界の売上高順位は、1位が任天堂(6346億円)、2位がセガ(3469億円)、3位がタイトー(939億円)だった。
823億円のカプコンは、ナムコ(742億円)やコナミ(319億円)を抜いて、一気に業界4位となった。
https://president.jp/articles/-/74665
今や珍天堂ですらガチャゲーで儲けてるのに
PSとかいう枷を切り捨てた結果だな
スクエニとは真逆マジで桃鉄でいうキングボンビーだわSONY
ドグマ2も予想以上に売れちゃいそうだしな、来年にはモンハンが、いまのところ4角なし
恩義恩義でずっとPCヘイトしてたところが慌ててPCに媚びるも中々うまくいかず
それこそ世界数百国相手にして
CS側以上に自由なPC界隈があるならそっち行く事自体間違いじゃ無い
というかPSとかいう重しを背負うマゾプレイする意味が無い
何だかんだで乗り切ってるね
スクエニもFF13あたりからPC展開もやってたはずだがカプと何が違っているのかの比較記事のほうがきっと面白くなるよ
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